2017年 07月 11日
本当は美しい「忖度」
「忖」も「度」も人の心を推しはかること。
「忖」なんて、「心の寸法をはかる」。そのままですね。
控えめな優しい言葉なのに、最近何だか役人の処世術みたいなものに貶められてしまっているようで、悲しい気持ちになります。
建築のデザインや外構計画なども、都市計画法や建築協定のような「強制力」だけでなく、「忖度」が上手く働いていると、街全体が美しいものになるように思います。
こんなデザインをしてみたいけど、不快に思う人はいないかな。
この屋根の素材だと、西日が反射して眩しい家がないかな。
あのお宅の庭と同じ木を植えてみたら統一感がでて、散歩して楽しい通りにならないかな。
何となくうまれる緩やかな合意形成と長い時間がつくった街並みは美しいですね。
10年ほど前からよく使われるようになった「空気を読む」って、何だか息苦しく、嫌な気分のする言葉なのですが、「忖度」については、世間で言われているようなネガティブなものではなく、本当はもっと美しい言葉なんだと思います。
言葉が歪んで使われだしたら、その歪みを弄ぶ人が増えたら、社会に黄色信号が灯っていますね。
身のまわりに「そのような指摘は当たりません。」みたいな言い回しを好む人がいたら、僕はそーっと離れます・・・。
by krd_aa
| 2017-07-11 10:42
| ・暮らし